2025/04/23 21:23
ヤマコヤのやまさきさんと、介護についてのお話会を企画しました。
「旅する茶話会」と称して、まずは東京多摩地域の、そしていずれはいろんな場所で、家族についてざっくばらんに話す場を作ってみましょうという試みです。
第1回は5月10日。詳細はイベントの項でご案内しています。
・・・・・・・
昨年の今ごろ、わたしは両親の引っ越しと実家仕舞いの直前で、東京の住まいと札幌の実家横跳びのように行き来していました。
そのころに書いた文章が出てきました。どこかに掲載する宛てもないのに、こんなふうに書かずにいられなかったんだな、としみじみしました。
せっかくなのでここに置いておきます。
認知症、どんなことが大変なのかをよく訊ねられるんだけど、いつもうまく答えられなくて。
参考になるかどうかはわからないけど、興味のある方が読んでくれたらと思います。
写真は、あと30分で家族そろって外食をしに行くというときに、おもむろに母が台所に立ち、下処理をし衣をつけて揚げはじめ、なぜ今! と困惑する家族に「熱いうちに食べて!」と振る舞い出したエビフライ。
……美味しかったんだよなあ……。
・・・・・・・
『2024年 6月某日』
iphoneの充電器がない。
この家でいくつ充電器を失くしたかわからない。
認知症が進行した母のサポートのために月イチほどのペースで実家に帰省、滞在するようになった。そのたびに、母はわたしの衣類を洗い、干して取り込んではどこに収納したかを忘れてしまい、毎回のようにわたしは「着るものがない」という状況になった。
自分の衣類は自分で洗濯するからいいよ、と言ってある(そう書いたメモ紙も貼っておく)のだが、母は忘れてしまう。わたしが用事で出ている隙に、父、母、そしてわたしの衣類は一緒に洗われ、干され、取り込まれ、畳まれて、何処かに仕舞われる。その何処か、がわからない。
元来、もの持ちの良い人なうえに、病によって「同じ種類のものに選り分ける」という機能が働かなくなっているので、実家はカオスだ。父の靴下や母の下着に紛れている自分の服を幸運にも救出できたこともあるが、たいてい、あらゆる場所をあさっても出てこない。母に訊ねても答えはいつも「どこ行ったんだろうね、不思議だねぇ」。そしてわたしは「着るものがない…」と呆然とする。
帰省するたびに服が消える。重宝していたあのカットソーも、靴下も、肌着も、実家の物量の中に消えていった。結構なストレスだった。靴下一足とて、買い直しが度重なるとなかなかの出費だし、どの服も考えた末に買ったものだし愛着もあった。日々、洗い替えの服が消えていき、身につけていた一着を洗っては着て、それすら目を離せば消える可能性があるというスリリングさ。
当然、対策として、着替えや洗濯予定の服は隠しておくようになった。でも、何かのきっかけで母の目に触れた途端、やっぱり洗われ干され取り込まれて消えていく。
母は洗濯好きなのだ。あっと思ったら逃さないのだ。まるでハンターのようだった。
そして今、引越しが終わり、ガランとした部屋の中で……と書きたいところだが、まだまだここで三家族くらい生活できそうな物量の中、それでも何がどの程度あるかは目視できる状況になったけど、やっぱりわたしの服たちは出てこなかった。どこかの過程で「これ誰の服? わたしのじゃないしお父さんのでもないし、いらないね」で処分されたと思われる。救出できなかった服たちよ、ごめん。
同様に、iphoneの充電器も出かけている隙に片付けられては消えていった。もういくつ買ったかわからない。
そうして今回の帰省、またわたしの充電器は消えた。必要なものは捨てられて、思い出の遺物は山となってそびえ立つ。もう何度目かわからない溜息をついて、ついでに埃を吸い込んでくしゃみをする。
とりあえず、夜が明けたのでコインランドリーへ行かないと。
という訳で、今日、わたしと連絡が取れなかったら充電切れのせいです。